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トピックス・インタビュー07

07 「瀕死の王」 佐藤信×柄本明 対談 INTERVIEW
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INTERVIEW あうるすぽっと二度目の秋は世界に名だたる劇作家の戯曲に、独自の挑戦を続ける演出家・佐藤信さんと俳優・柄本明さんが登場。新たな「冒険」=『瀕死の王』稽古開始直前の、お二人の声をお届けします。
2008|07|29 公演詳細

『瀕死の王』は、お二人の間で温めていた企画なのでしょうか?

佐藤:僕は非常に演劇界に知り合いが少ないもので(笑)、時々気になる俳優さんにはこちらから会いに行くんです。柄本さんもその一人。でも会いに行ったからといってすぐご一緒できるわけでもなく、少し後に演出は違ったのですが、当時僕が芸術監督を務めていた世田谷パブリックシアターの作品、ブレヒトの『ガリレオの生涯』への出演を99年にし、その後2000年にベケットの『ゴドーを待ちながら』でやっとご一緒できた。柄本さんとやる芝居は僕の中でも大事な仕事なので、それ以来「次に何をやるか」漠然とは互いに話したりもしていたんです。
柄本:僕は信さんに言われたら「ハイ」と言うだけ、素直なもんですけどね(笑)。『ゴドー〜』の後はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』、ベルナール・マリ・コルテスの『綿畑の孤独の中で』、詩人の平田俊子さんに高村光太郎・千恵子を題材に書いて頂いた『れもん』、そして再びベケットの『エンドゲーム』と5本ご一緒させてもらいました。良いペースじゃないですか。
佐藤:ベケットがたまたま続き、特に前回の『エンドゲーム』が思った以上に凄いことになった。再演の話も出ていたのですが、僕としては「今の自分にできるのはここまでだ」と思い、再び取り組むきっかけがまだみつからない。ベケットはすごいんですよ、ひと息ついたら、また挑戦したいんですけどね。
で、その次に何やろうかと考えた時、僕自身は芝居を始めたきっかけでもある作家イヨネスコはどうだろうと。高校生の時にイヨネスコの『椅子』を読んで、戯曲を読んで笑うという経験を、初めてしたんです。俳優養成所時代の初演出作がイヨネスコの『無給の殺し屋』だった。彼の戯曲を検討するうちに、『瀕死の王』が上がって来たんです。それに何より、「柄本さんで何が観たいか」という、自分の中での要求を満たすのがこの作品だった、というのが一番の理由ですけど。
柄本:僕は芝居を始めようと思ったとき、最初に揃えたのがベケットとイヨネスコの全集でした。馬鹿ですよね(笑)、でも持っていないといけないのではと思い込んでいた。信さんは高校時代に読んで笑ったと言うけれど、こっちは両作家の作品ともチンプンカンプン。だけど信さんからベケットの『ゴドー〜』の演出を受けた時は、すごく面白かったんです。なんだろう……「わかった」とか「わからない」ではなく「当たり前の話なんだ」と、演じたことで腑に落ちたと言えばいいのかな。とにかく楽しくて、相手が石橋蓮司さんでしたし。

柄本さんはイヨネスコの『授業』を長く演じ、また演出や監修もなさっていますね。

柄本:ええ、最近では5月末の一週間、モルドヴァでも公演したばかり。そこにウジェーネ・イヨネスコ劇場という信さんもご存知の劇団があり、劇団の主宰者ペトル・ヴトカレウが芸術監督の演劇祭が毎年行われている。そこで上演しました。『瀕死の王』をやるとペトルに言ったら、「来年はイヨネスコ生誕100年なので、是非ここでも上演して欲しい。信さんにもよく言っておいてくれ」と伝言されました。まだ稽古も始まってないのに(笑)。

イヨネスコ作品の特色は、どういうものとお考えですか?

佐藤:「前衛劇を書く劇作家」として、ひとつにくくられがちだけれど、ベケットとイヨネスコはすごく違う作家だと今回改めて思いました。イヨネスコのほうが分かりやすいというか……ベケットほど意地悪じゃない。
柄本:それに攻撃的ですよね、イヨネスコのほうが。
佐藤:そう! 攻撃的。そこはチェーホフと似ていると思ったんだ。
柄本:なるほど。
佐藤:チェーホフの作品世界は一見物静かだけれど、必ず非常に攻撃的な場面がある。だいたい三幕ぐらいに、誰かが怒鳴りまくるような荒っぽい場面が描かれるんです。
柄本:『ワーニャ〜』なんかもそうですよね。
佐藤:『瀕死の王』は特にチェーホフ的じゃないかな。ほら、恋愛ドラマだという側面もある。そんなチェーホフとの類似点は、今回演出するためのひとつのヒントになっています。チェーホフ劇って実は、登場人物が色恋に狂ったようになる話ばかり。でも人物の組合わせが複雑だから、一見そう見えないだよね。『瀕死の王』も「死のドラマ」として見ても面白いけれど、「愛のドラマ」としてもすごく面白い。柄本さん演じる王ベランジェ一世は、本妻と第二夫人と一緒にいる男じゃない? その気まずい状況から来る振る舞いを意識すると、個々の台詞がより面白くなって来る。若い第二夫人とのデレデレした関係だけじゃなく、カリカリしている第一夫人にも「遠慮なく相手を怒れる親しさ」みたいなことがあるわけで、そういうチェーホフ的なアプローチを試したいと今は考えているんです。柄本さんと一緒に、チェーホフの延長線として作る芝居。それも、ものすごく攻撃的なものを。それがある種の「分かりやすさ」にもなると思うんです。

「攻撃的」な場面が描かれることで、人物の関係性が明確に見えるということですか?

柄本:それほど単純なことではなく、その「攻撃」の原因となる「不満」、例えば『ワーニャ〜』のワーニャであれば、身近な相手へのコンプレックスや女性への報われない想いなどを抱え、それが溢れて「攻撃」になる。そういう人間の本質、「しょうがない生き物だな」というところが見えやすい、という感じじゃないかな。
佐藤:『授業』の登場人物である教授も、生徒との関係の中でイライラし、また教えている自分にもイライラしていくよね。
柄本:『授業』を上演した一番最初のときは、フランス語のわかる人と原文と訳を照応していったんです。だけど言葉遊びの部分とか、どうしてもわからないところがある。でも面白い。何せ「スペイン語は新スペイン語の母なる言語であります。すなわちスペイン語、ラテン語、イタリア語、そして我々のフランス語、ポルトガル語、ルーマニア語、サルジニア語、サルジニアナポリ語もスペイン語の母なる言語であります」みたいな台詞があって、こんなのどうしたってわからないわけですよ!(笑)。
佐藤:わかんない、わかんない(笑)。
柄本:こういう台詞はただ暗記してもダメ。意味がわからずとも、何かしらの回路で台詞と繋がらなければ言えないんです。そこが個人個人の努力なんでしょうけれど。まあ役者が楽なのは、最終的には「俺が書いたんじゃないから、観客が分かろうと分かるまいと俺のせいじゃない」と、言えること。「責任は俺にはありません」と(笑)。
佐藤:そんな言い方したら、演出家にはもっと責任ないからね(笑)。演出家は役者と戯曲を繋げるけれど、稽古場で何をしているかと言えば、大半は動き演じる俳優たちを「この人たちは今、何を考えて演じているか」と見ているだけだから。舞台上で表現する俳優が分からないことを、演出家がわかる訳ないですよ。
柄本:そうですね。
佐藤:演出家が「わかって」も仕方ない。というよりも「わかった」ら面白くないし、それはおしまいを意味すると思う。「わかった」ことを観客に伝えるなら、演出家が台本を書かなければならない。演出家は稽古場でずっと、戯曲と俳優の関係性、そのふり幅を見つめ、「ちょっと違うんじゃないか」と考えている。「その通り!」という正解に思えることが起きたらむしろ、「ちょっと待って」と止めるのが仕事じゃないかと思うんですよ。

柄本:役者の場合、戯曲を読めばどうしたって何か思い、戦略や作戦みたいなことを立ててしまうと思うんです。でもそれは多分邪魔になる。それより「この言葉を言うと、どこに連れて行かれるのかなぁ」というスタンスがいいんです。本の力に身を任せる。ベケットやイヨネスコ、チェーホフも含めた世界的な作家の作品は、自ずと違う世界に連れて行ってくれるもの。でも自分で制御しようとすると、大して面白くはならないんです。
だから、「スペイン語は新スペイン語の母なる言語であります」という台詞を「わかる」必要はないんです。ただその台詞を言うと、どこかへ連れて行ってくれる、世界が変わる。そこに身を任せればいい。あるレベル以上の戯曲には、そういう力があると思います。
佐藤:その通り。でもそれを観客を不安に思い、結果、「わからない」と思わせてしまう。
柄本:でも、その「不安と遊ぶ」のが演劇なんじゃないですか? 不安だから演劇は面白いし、それはライブで観るもの全般に言えることだと思います。家庭にある四角い箱(TV)から流れてくるものとの、最大の違いじゃないですか。四角い箱から流れてくるのは、「わからなくちゃいけない」と強迫された情報や物語のように思える。
佐藤:テレビで喋っていることがテロップで出るじゃない? あれは言葉がわからないからじゃなくて、「今聞いたとおりですよ」と確認させる駄目押しなんだよね。それで視聴者は、「自分はわかった」と安心できる。
でも演劇の場合、言葉の中に「意味」を探し始めた瞬間にアウトなんですよ。良い台本ならば意味を探すより、その言葉の「揺れ」に身を任せれば、俳優も観客も皆一緒にどこかへ連れて行ってくれる。だから「イヨネスコだから」と身構えるのは損だと思うな。だいたい、芝居を「わかる」と「わからない」の差がどこにあるのかということだけでも、僕は若い頃からずっと考え続け、それでもいまだに悩んでいるからね(笑)。
柄本:だいたい信さんが書く作品も、「わからない」と言われ続けられてますしね(笑)。
佐藤:うん、だから僕はいつも若手に言うんだけど「『全然わかんない』って言われながら僕は45年も芝居を続けている。たいていのことは大丈夫だ」と(笑)。

最後に、タイトルにもある「死」については、お二人は今の段階でどのようにイメージしていらっしゃるのでしょう?

佐藤:これは「消えてしまう死」なんですよ。純粋な「死」というより「消失」だと僕は思う。舞台の上から世界が消失していくのを観客に見せる。死について哲学的なことを展開するのとは違いますよね。
柄本:その点では、今までで一番わかりやすい気がしているんですけれど。
佐藤:うーん、わかりやすさの保証はできないけれど(笑)、『瀕死の王』というタイトルを聞いてクスッと笑うか、ドンと重く受け止めるかでも違うよね。「王」という言葉をタイトルにしたのは、そこにシリアスとコミカル両方の選択肢を用意するためだと思う。死と消失、シリアスとコミカルというような対比もまた今回の演出のヒントだし、敢えて「死のドラマ」を意識しないことが手掛かりになると思う。柄本さんは「死」について何をイメージしている?
柄本:この芝居においては「当たり前のこと」というイメージぐらいです、今のところは。むしろ意識しておきたいのは別のところにあって、それは観客との関係性なんです。舞台上と客席は「敵同士」だと僕は思う。もう少し柔らかく言うなら「他人」かな。最初から馴れ合ってしまうと、芝居の面白さは半減してしまう。劇場という暗闇の場所で上演していながら、そこが「犯罪の場所」でなくなるんです。 
劇場は、暗闇にすることで観に来た観客が一人一人になり、そこで舞台を「覗く」という犯罪が潜在的に行われる場所。そういう空気が、芝居の底辺にはあるべきだと僕は思っている。『瀕死の王』では、観客とのそんな関係性も意識してみたいですね。

取材・文/尾上そら

PROFILE/プロフィール

佐藤信
生年月日:1943年 8月
出身地:東京都
演出家。

柄本明
生年月日:1948年11月3日
星座:さそり座/血液型:B型/出身地:東京都
俳優。

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瀕死の王

プロデュース公演

2008年9月28日(日)〜10月5日(日)

『瀕死の王』

2008年あうるすぽっとが自信を持ってお贈りするのは、1950年代の”アンチテアトル”を代表する前衛劇作家・イヨネスコの傑作「瀕死の王」。演出に佐藤信を迎え、柄本明や佐藤オリエ、高田聖子ら実力派キャストで 上演。

○作:ウジェーヌ・イヨネスコ
○演出:佐藤 信
○訳:佐藤 康
○出演:柄本 明・佐藤オリエ・高田聖子・斎藤 歩・谷川昭一朗・松元夢子

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